#1 女子大生、ミーミルヨコハマを訪ねる

注意;

各固有名詞、技術用語は基本的にセリフ中ではカタカナ、平文中ではアルファベット表記としています。

ただし、その表記に馴染みのないもの(たとえば「アイフォーン」)などはこれに従わない記法を採用している場合もあります。

また、単位及び数量詞については基本的にカタカナで表記しています。


――2017年、秋。

Mimir Yokohamaの週末は事務処理に始まる。 平日はお客様にご依頼いただいた仕事をこなし、お問い合わせの返信や事務作業にあてる時間がないためだ。

「ん…?このメールは…」

ふと、見慣れないメールアドレスからのメールが目にとまった。Mimir Yokohamaのメールサーバーは、送られてくるメールに合わせた強力なスパムメールフィルタを搭載している。ジャンクなメールが届くことはほとんどなく、大量のメールが届く割に見落としは少ない。 宛先ドメインはかつてのaki-sie.comになっている。ということは、以前の知り合いだろう。

メールを開いてすぐにわかった。 何度か交流会で顔を合わせている男性だ。年齢は私よりも一回り上、ITとはあまり縁のない仕事をしていたと聞く。

「なになに…娘がパソコンを欲しがっているので相談に乗ってくれないか、ということか…」

ついては相談のために会って話がしたいということだ。 通常、Mimir Yokohamaでは御用聞きのようなことはしていない。既知の人物への積極的な営業なども行っていないのだ。 これは低価格かつ高品質なサービスを提供する上で余計なコストをかけていられない、という事情がある。 だが、わざわざMimir Yokohamaのホームである新横浜まで来られるということだし、新横浜で少し時間を割くタイミングはあるだろう。 私は承諾と、仕事帰りに寄れる日時を回答した。


「どうも、おまたせしてしまって」

私がぼろぼろのDynabookでプログラムを書いていると、男性が声をかけてきた。見覚えのある顔と声で、すぐに彼だとわかった。 少し離れて、若い女性がいる。彼女が娘さんだろう。

「いえ、お気になさらず。どうぞおかけください」

といっても、ここはファミレスであって私の場所ではないのだが。

「甘いものお好きですか」

彼が尋ねる。Dynabookのわきにおいた空になったパフェグラスに目を留めたのだろう。

「えぇ。夏が暑すぎてよく食べていたもので、ちょっと習慣になってしまったかもしれません」

慎重に様子を伺ってから彼女も腰をおろした。彼はコーヒーを、彼女はパンケーキを注文した。 私はヒンジとキーボードの壊れたおんぼろのDynabookを閉じると二人に向き直った。

「娘のゆかです」

私が口を開く前に彼が言った。彼女は軽く会釈してみせた。

「ゆかさんですね。ミーミルヨコハマのエヴァンジェリスト、はるかです。よろしくお願いします」

「エヴァンジェリスト?ってなんですか?」

私が彼女に向かって挨拶すると彼女は至極当然な――だいたいいつも聞かれる疑問を口にした。

「最近流行りの肩書です。難しいことを、できるだけわかりやすく伝える仕事をしています」

へぇ、と返事はしたがあまり関心はなさそうであった。それはそうだろう。怪しげな横書きの肩書に関心を持つ人はあまりいない。 かくいう私も、エヴァンジェリストという肩書は割と胡散臭いと思っている。

「ゆかさんがパソコンを買われるのでしたよね?」

メールの内容を確認する。詳細については、なにも書かれていなかった。

「えぇ。僕はあまりパソコンとか詳しくないので、正木さんに相談に乗っていただけたらなって。いかがですか?」

「えっと…この場でなんとなく『これがいいよ』というような話をすればよいのでしょうか。それとも、サポートをご希望ですか?」

「サポートってどんな内容なんですか?」

「ちょっと、まだ新しいウェブサイトができていないので資料がないのですが、およそ従来と同じで年額15000円でご契約いただいて、あとはその都度ご相談ごとにという形ですね。相談内容は、レベルによって料金変動があるので技術的に高度なことなんかは含まれないのですが、普通に使っていて疑問に思うようなことでしたら、だいたいなんでも対応します」

「じゃあ、使い方とかも教えていただける?」

「多分、だいたいのことは自分でできる、というのでないとそれではサポート料金がかさんでしまうと思います。それだったら、授業をお受けいただくほうがお勧めですね」

「授業だとどんな感じなんですか?」

「固定カリキュラムはなくて、その方ごと、つまりゆかさんに合わせた授業を行う形になります。ひとコマ2時間で、2万円弱といったところですね」

「ちょっと高いですね」

「と、思います」

彼はここでちょっと考え込んだ。考えている間にゆかさんのパンケーキも運ばれてきた。少しこちらの様子をうかがってからとりかかる。 お金も絡むことで、しかもそれを出すのは父親ということもあってか、話に対して自分の意見を述べる気はないようだった。

「今、何年生なのですか?」

私は彼女に話を振ってみることにした。仕事にならないとしても、やはりよいコンピュータを推薦したいところだ。 このようなときはついついファウンダーである父親の意見を優先してしまいがちになるが、使用するのはゆかさんだ。 ここで父親の意見を優先した結果、ゆかさんにとって不満の強いものや、納得のいかないものにしてしまうと、結局あまり使わないという事態になるかもしれないし、それによってコンピュータが嫌いになるということもある。 様々な面から納得できる、最適なものを選ぶことはMimir Yokohamaのプライドだと言ってもいい。

「三年です」

「既にレポートや論文でもパソコンは必要になっていますよね?どうしてるんですか?」

「うちにあるやつを使ったり、あとは大学のパソコンを使ったりしてます」

「データはUSBメモリーで?」

「はい」

「不便ですよね」

「そうですね。時間あるときとかに書けなかったりとか、あとちょっと直したくなっても手元にないから次研究室に行く時にとかになってそのときになったら忘れてたりして」

なるほど、パソコンが欲しい、という気持ちは父親の気まぐれというよりはゆかさんの積極的な要望であるらしい。 口ぶりからすると、父親に遠慮してあまり強くは言わないがなくてかなり困っていて、いよいよ本当に困った…というところなのだろう。

「そりゃあ、必要ですよね。どんなのがいいとか、ありますか?」

「…パソコンとかよくわかんなくて、どんなのがあるかも知らないです」

まぁ、そういうものだろう。となると、まずは触れてみなくてはいけない。

「○○さん、幸いまだ夕方ですし、お時間あるようでしたらこのあとビックカメラに行ってみませんか?まずは触れてみないとわからないことはたくさんありますから」

「そこまでしていただいて、いいんですか?」

「構いませんよ。乗りかかった船です。中途半端な仕事はできませんから」

私はピッと敬礼して見せた。心なしか、ゆかさんの緊張もやわらいだようだった。 やはり、甘味は偉大だ。

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